sutomajo's blog

可愛い女の子のブログです

昨年末の出来事

 うちのおじいちゃんは本当に耳が遠い。その上頑固で、一度決めたら何がなんでも、という人だった。大量のハーゲンダッツやら午後の紅茶やら、もう要らないっていうのに食べさせようとしてくる。道路を歩いていて車が通ると、「車きたよ!」と大声で教えてくれる。孫への優しさなのはわかってるけど、嬉しくはなかった。

 その横で、おばあちゃんはいつも僕たちにおじいちゃんの愚痴を聞かせた。おじいちゃんが耳が遠くて聞こえないのをいいことに、大声で聴かせてきた。介護というほどではないにしても、おばあちゃんも苦労しているんだろう、それは分かっていたけど、人生の最後に孫に夫の愚痴を聞かせるなんて…と思って、僕はそれが苦手だった。でも、おじいちゃんはおばあちゃんを大切にしていた。おばあちゃんのことを「祐子ちゃん」と呼び、ありがとうね、なんて言っていた。

 そんなおばあちゃんが亡くなった。買い物途中で転倒して頭を打ったとのことだった。電話で連絡を受けた後、涙は出なかった。

 お通夜に出たのは初めてだった。父の兄である恒夫おじさんや、従姉妹のお姉さんたちにも久しぶりに会った。初めて会う親戚もたくさんいた。おじいちゃんは、初め、今晩は葬式場に泊まる!祐子ちゃんと一緒にいる!祐子ちゃんがかわいそうや、と言っていたけど、お通夜式が終わるころにはケロっとうん今日はお家に帰る、と言っていた。みんな安心した。

 その日、亡くなったおばあちゃんのお兄さんから、「先立たれた一方が一年以内に後追いで亡くなるケースは多いんだ。特にここの二人は仲が良かったから、よく見ておいてやってくれ」と頼まれた。耳が遠くてほとんど聞こえないおじいちゃんが、これから一人で暮らさなきゃいけないのかと思うとすごく不安だった。僕は地方への異動が決まっていたのだけど、東京に帰ったら横浜に寄ろう、と思った。

 翌日、葬儀と火葬があった。葬儀式場の入り口には「浄土真宗では葬儀を不浄とは考えませんので、清め塩はもちいません」の張り紙があった。火葬場でも、お骨を壺に入れる時、浄土真宗では一人でそのまま入れてもいいんだという説明がされた。うちが浄土真宗なのかどうかは知らなかったけど、そういえばお通夜でも、お坊さんの説教の中で浄土真宗がどうの、と話していたかもな、と思い、ふーん、くらいに考えていた。

 無事火葬も終わり、親族にもみんな帰ってもらった後、おじいちゃんと、父と伯父の家族だけでおじいちゃんの家に帰った。もちろん、お骨と遺影も持って帰った。10人で食卓を囲んだ。お茶は従姉妹のお姉さん達が出してくれた。うちの兄妹は毎回こうで、ほとんどこうしたことを手伝えない。でもこの従姉妹達も明日にはつくばに帰る。その後はおじいちゃんはこの家に一人ぼっちだ。みんながそう心配してたと思う。

 ふと会話が途切れた時、おじいちゃんがおもむろに、現世とあの世は繋がっている、という話をし始めた。人が亡くなるのは世の習い。あちらに行ってしまったのではなく、いつもそばにいる。大切なのは心の問題。法然親鸞浄土真宗西本願寺禅宗江戸幕府お布施やら豪華な仏具ではなく、南無阿弥陀仏と唱える心によって救われる、そういう教えの話だった。おじいちゃんの口からそんな話を聞いたのは初めてだったからびっくりした。だいたい10分くらい、みんなで黙っておじいちゃんの話を聞いた。

 僕たち家族は暗くなる前に葛西に帰る予定だったから、伯父が気を利かせて、最後におばあちゃんに挨拶してやっちゃん(僕の父)達に帰ってもらおう、と言ってくれたので、みんなでおばあちゃんの遺影の前に移動した。

 おじいちゃんは、みんな揃った?と確認したけど、恒夫おじさんは台所で食器を洗いながら「先始めててー」と言う。僕たちは笑ったけど、おじいちゃんには聞こえてない。そしたら「あれ?慶ちゃんは?」なんて言うもんだから、僕はここにいます!とツッコんでまたみんな笑った。その笑いがおさまった後、ふとまた静かになった。そしたら、

 

「おばあちゃん、やっとお家に帰ってこれたね。ずっと一緒だからね、さびしくないよ、大好きだったよ」

 

 僕は涙が止まらなかった。その後おじいちゃんがお経を諳誦し始めたのもびっくりしたけど、僕がその時最も驚いたのは、おじいちゃんがお経を暗記していたことでも、自分がおばあちゃんの死に泣いてることでもなくて、「おばあちゃんが亡くなってもおじいちゃんはひとまず安心だ」、と何となく思えたことだった。おばあちゃんはお骨になっちゃったけど、いつもおじいちゃんのそばにいてくれてることは変わらないし、遺影の中で、こんなに素敵に笑ってくれてるんだ、自然に思えたんだ。

 これが結局なんの話かって言うと、僕はこれまで、と言うかあの日のあの瞬間まで、ずっと「宗教」ってものに対して、少なくとも自分にとっては無意味なもの、不合理なものという認識を持っていたのだけれど、その認識がかなり揺らいだんだよね、

暑い夏の日の平日の昼間のこと

ぺたぺたぺた。おじさんが歩いている。おじさんはアコギ?のようなものを肩に担いでいる。ケースにも入れず、ストラップもつけずに。私はその後ろを歩いている。

歩幅の都合、気付いた時10mほどあった距離はみるみる縮まり、私はすぐにおじさんと肩を並べてしまう。おじさんはまっすぐ前だけを見つめ、フンフンと何かを口ずさみながら、ネックを掴む右手の指ででたらめに弦を叩いている。私は、ペグから弦の余った部分が伸び放題になっているのに気付く。

おじさんを追い越す瞬間、好奇心からおじさんの顔を横目で覗いた。おじさんは相変わらず、まっすぐ前だけをみつめている。その表情から特に感想を持たなかった私が、視線を前に戻し、そして下に落としたその時、おじさんは口を開いた。

「いいだろうコレ、40年前のモーリス
当時のギターは木がいいんだよ 良い職人が作ってる
中でも日本ではモーリスさ、まぁミツミネとかもあるけども
ジャラーン!(解放弦を鳴らす)どうだい、いい響きだろう~♪(歌い出す)
俺はずっとVocal! ギターはお飾りなのさ、まぁ弾けるけども~
歌い続けて62年 今年で65才~~~
Hey you!(すれ違いの自転車のおばちゃんに声をかける)(おばちゃん微笑して去る)
アレは俺の昔のコレさ~~~(小指を立てる)
だけど女は皆One night love でないとこの声は出ないのさ~~~
音楽は余裕のあるやつがするもの 食うための音楽は音楽じゃねぇのさ~~~」

廃校!

今朝、というか、たった今のことですが。

僕の母校である小学校が統廃合の危機にあるらしいです。今朝食卓についたら、反対の署名を募るチラシが置いてありました。署名欄には既に両親の名前が書いてあります。僕としても思い出深い場所ですし、10年後20年後またここに帰ってきた時、今母校のある場所に全く見知らぬ構造物ができあがっているということになりかねないと思うと、なんだか「わあ」という気分になって、すぐに僕も署名したんです。署名欄の三行目に、住所を書いて、そして氏名。

でもすぐに気付きました。これってまさしく、よくテレビでやってる「現地住民の反対」ってやつじゃないかと。僕個人の思い出がどうこうという以前に、お役所でそういう話が出てるということは、そうしてしまった方がいいんじゃないだろうか。区役所の人がそうするべきだと言っているのに、住民の反対で物事が進まないなんて気の毒だ。そう思いました。

「もう名前書いちゃったけどさ」母親に問います。「お役所の人がこう言ってるってことは、そうした方いいってことなんじゃないの」 母は、悪い人ではないですが、そういう考え方をあまりしない人ですから、「説明が不十分だ」とか、「話が急すぎる」というようなことを言いました。「それに、潰れたら(隣の)○小まで歩いて行かなきゃいけないんだよ」

我が家に小学生はもういないとはいえ、なるほど、確かに○小はここからだと遠いかもしれない。もともと僕の母校は僕の住むマンションから目と鼻の先、5分もかからないようなところにあったので、その距離差はとても大きく感じます。しかし、○小がいくらここから遠いからって、もともと僕の母校にもそれくらいの時間をかけて歩いてきた生徒は少なからずいたんだし、完全にうちの地区の都合じゃん、とも思いました。

「説明が不十分ってのは反対の理由にならないんじゃないかな。潰した方がいいか、悪いか、それを考えて署名するべきだ」…僕自身既に署名してるんですが、偉そうなこと言ってます。実はこのセリフを吐きつつ、なかなか僕もいいこと言うな、お役所の人の目線になって物を考えているだなんて、ただの怒れる市民ではないのだ、というような気分になっていました。しかし、この弁は次の父の言葉で撤回されることになります。

「うちの資産価値が下がったら困る」…ガ、ガビーン! それは困る! 僕はまだ自分で財産を持っていないので、そういう感覚はなかったのです。したり顔でお役所に同情できたのはそのためでした。この署名を募っているうちの地域の人達も、ただの感傷で反対しているのではなく、ちゃんとそういうことを考えて反対しているのでしょう。署名を取り消そうかという気分は完全になくなりました。

…しかし今思えば、問題が感傷の問題でなく、特定地域の利害に関することであればこそ、むしろ廃校にすべきなのではないでしょうか。僕はその地域の人間ですから、いずれにせよ反対という態度を続けますが(といっても署名する程度ですけど)、実際問題生徒数が減っているのは確かなのだし、お役所の人にとってみれば、そんな一部の人間の資産を守るためだけに色々な非効率が解決できないというのは、とても腹立たしいことだろうと想像します。お金の問題に話が変わったことで、そんな、明白で身もふたもない対立構造が見えてきたという話でした。

ふたなりの起源

前回の更新は「美少女になる」というタイトルでした。この記事では、僕が美少女になろうと妄想たくましくした結果ぶつかった一つの壁を簡単に紹介いたします。

童貞だからチンポだけどうしても女体化できない!!!!

この一言に尽きます。例えば脳天から、髪、眉、目、鼻と降順に女体化していって、胸、背、腹と降ると同時に、手や足の指先からも両腕・両脚を肢体の中央に向かって全体的な仕方で以て女性らしく形作っていくとしますと、たとえ最後の一部分を残して全てが順調に進んでいたとしても、まるで五体から失われた男性を一点に集めたかの如く、頑なに「それ」は「そこ」を離れようとはしなかったのです。

ここにふたなりの起源(はじまり)を見ることができます。これは確信を持って言えるのですが、他の人がどうだか知りませんが、僕の認める限りにおいてふたなりチンポとは、美少女の股間から「生えてきた」ものなどでは決してなく、美少女に「生え残った」ものなのです。閑話休題

それにしても、この私がここまでふたなりに魅了されるとはつい一週間前まで想像だにしなかった。だから魅了とはこういうことを言うのだ。ひとつ鼻にかけたようなことを言うと、実は昨日六本木のラファエル前派展とかに行ってきたのであるが、その帰途TLに現れたロリチンポbotはそれが私に与えたインスピレーションという点においてロセッティの《プロセルピナ》を苟も上回った。テート美術館の至宝がふたなり和姦の無法に遅れを取ったのだ。悲しいことだ。

ところで、何よりも今の私に求められるのは倫理であろう。チンポの生えていそうな美少女といなさそうな美少女、チンポの生えていてよい美少女とよくない美少女、こうしたことを整理する必要がある。無闇な横行はもちろん私の望むところではない。

ただし前述の、ふたなりの起源は男性にあるとする立場を採用した場合、話を美少女に限定する必要は全くない。ふたなりチンポが男性の凝縮であるならば、もちろん手のひらサイズでお手軽ということはあるけれども、それがそこに集中する以前の状態に彼らを還元してやることも一つの道なのだ。

アルミンにはきっとチンポが生えていることだろうが、それを通常ふたなりとは呼ばない。アルミンが男性であるからだ。しかし私がふたなりに見出しているものはおそらくアルミンの場合と大きくは変わらない。夢中にさせてくれるものがいつも変わらずお手軽サイズということにいつか私が厭きた日には、きっとアルミンと心から向かい合う心の準備が整っているであろうと、今の私はただそう期待するばかりだ。

美少女になる

「来世は線の細い美少女に生まれて青春を百合えっちに捧げたい」と豪語する男性の百合おたくがいたとして、あなたはどう思いますか。「そんなの個人の自由だ」というのはとりあえずナシで。

色んな答えがあると思います。例えば、「百合とはただ眺めるべきものであるのだから男が百合に介入するなんて言語道断、たとえ転生という形を取ったとしても現状には男である貴様にはただそれを来世への期待として望むことさえ許される態度ではない」という風に、百合を読むにあたってのファン倫理みたいなものを根拠に批判していくタイプのものがまず説得力を持つと思いますし、あるいは、同じことを言うのでも「外から眺めていられるだけでお腹いっぱい、自分がそこに入っていくなんて想像したことも無かった、今それ聞いても興味湧かないし、ていうかそういうこと考えるってことはあんまり百合を分かってないんだと思う」というようなタイプも十分ありうると思います。

あるいは、「自分が美少女になる」という妄想自体にそもそも拒否反応がでる人もいるでしょう。じっさい、それは少なくとも「二次元の世界に逃げ込む」と呼ばれるような作業からは余りにもかけ離れています。可愛い美少女が自分の前に突然現れて「迫ってくる」ことに慣れた人でも、その自分の方を可愛い美少女の次元まで高めていく作業には慣れていないはず(たぶん)。

そしてもう一つ、「美少女になるという妄想自体はよくするけど、それを来世(?)みたいなからくりで現実に適用しようとは思わない、『~になりたい』っていうのがちょっと違うと思う、妄想と現実をごっちゃにしてるのでは…あっ今のもしかしてネタにマジレスというやつだった?、いやでも君ネタで言ってるんじゃないんでしょ」というようなものもあるでしょうか。

逆に彼に好意的な意見を考えてみた時に、「そりゃできることなら俺だって美少女になりたいさ、でも~だからダメなんだよね」というようなタイプはちょっと無いのかな、思います。だって、たかが妄想を「したいけど、してない」なんて状況あると思いますか? してなくて、よく知らないはずなのに、そうしたいということに関しては何故か揺るぎない確信持ってる風な辺りが少し嘘っぽい、というか受け売りっぽいと感じます。

…こんなことを書いているのは、僕自身が最近この技(妄想の中で美少女になる技)を獲得したので、それを報告しようと思ったからです。人によっては、今更かよ、とか、むしろそれが当たり前だったんだが…というような反応もあるのではないでしょうか。僕自身そのような人の影響を受けて始めたところがあります。

例を出すとすれば、僕はストライクウィッチーズについての百合妄想を、初め第二段落のようなスタンスで楽しんでいました。エイラーニャ~みたいな感じです。すうぃーどぅえー♪みたいな感じでした。だったのですが、(別にエイラーニャを馬鹿にするんじゃありませんが)今ではそれより、例えば「もっさんの視線がシャーリーの乳に注がれてる感じ」を、「もっさんに同化しながら」楽しむ方が興奮するのです。「『シャーリーの乳に興奮するお前自身の投影をもっさんに見出しながら』の間違いじゃないのか」と揶揄されることを承知で言っているんです。そこでは、自分とは、すなわちもっさんであって、例えば右目に眼帯をしているし、スク水を着ているし、白い士官服を着て日本刀を下げているわけであって、そしてもっと踏み込んで言えば、例えばシャツをめくって自分の腹を見てみたときに、そこに見える物とはそれまでの自分の浅黒い毛の生えた腹ではなく、まさしく二次元の美少女の、黄金に輝くONAKAであるわけです。

これはお勧めです。第二段落のような立場の方は是非転向をお勧めします。第三段落のような方はその辺頑張ってください。第四段落は今の僕がもう少しこの技に習熟した場合を想像して書いた大体の立場です。ただ、こんなことを続けているうちにいつ第一段落のようなことを(本気で)言い始めるかわかりませんが…。

p.s.
もっシャリ凄く良いです。そして全然もっシャリ関係ないんですけど、「芳佳『昔の501は大変だったんですね』美緒『そんなことはない』」というスト魔女SSが凄く面白かったのでお暇があればタイトルごと検索して是非まとめサイトにあたってください。SS書ける人ほんとうに尊敬します

劇場版「Wake Up, Girls! 七人のアイドル」見てきたので感想及び妄想

公開最終日に駆け込んできました。感想としてはまず、行ってよかった、ということです。これによってテレビシリーズをより楽しめそう、という予感を得ました。テレビシリーズから独立した一つの作品として評価することはできません。前日譚というよりは0話、ってな感じでした。この記事の主な目的は、劇場版の内容を思い出しながら適当に創作も混ぜて、メンバーひとりひとりについての理解を深めていくこと、そしてその上で、その人間模様をつぶさに、百合展開への期待という野心をしばらく脇に置きつつ追っていこうというものになります。

 ※公式サイトのキャラクター紹介画像を一枚にまとめましたので参考にしてください。
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/sutomajo/20140124/20140124004302.jpg

Wake Up,Girls!は7人から成るアイドルユニットです。えっ意外と少ない! もっと、例えば9人くらいいるもんだと思ってました。だってアイマスラブライブも9人ですよ。

7人ということは、ステージに立った時にはセンターに一人いて、両脇に3人ずつ並ぶという格好になります。クリスマスライブでは、
 岡本、七瀬、菊間、島田、林田、久海、片山

の順に並んでいました。これを、年齢順に並べ直すとこうなります。
 菊間、岡本、七瀬、島田、林田、片山、久海

背の順は年齢と同じ並びでした。バストサイズはというと、
 菊間、岡本、林田、島田、久海、片山、七瀬

後は体重くらいしか数字がありません。
 菊間、岡本、島田、林田、七瀬、片山、久海

1話でマネージャー松田がメンバーに集合をかけた時の松田の視点から見た席順。
 岡本、片山、林田、島田、菊間、久海、七瀬

もう僕が何を言いたいのかわかりますね。島田真夢(まゆ)がいかにセンターにふさわしい中庸の人物であるかということです。これは偶然ではないはず。ちなみに1話で松田が集合をかけた時、というのは、松田が胡散臭い業界人のパチモンに引っかかりかけていた時のことで、松田の楽観的な戦略にノリノリな左3人と慎重な右3人という形で対照的な画面構成のシーンでした。(画像の上段、中段)
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/sutomajo/20140124/20140124010501.jpg

この一連のシーン中、島田のセリフはたった一言、林田からの問いかけに「うん」と頷いたのみ。しかしそれまでの間に島田がある種の表情を持たせて描かれたカットは3度入り、うち一回は事態を傍観する島田の静止画を大きく7秒間も捉えた(=下段)ものでした。これは主人公にセリフを与えないことによって、逆に印象深さを持たせる演出です。(林田までもがノリノリになっているように描かれたのは単に画面のバランスを取るためであって実際には林田は島田に近くもう少し落ち着いた性格であると思われる;久海、七瀬はその意味で落ち着きが少々無い)

アイドルアニメの主人公として島田真夢がどのように新しいかというと、もちろん、天賦の才を持っている、みたいな身もふたもない設定は他と同じなのですが、とりあえず、何にも考えずに笑ったりしない人間であるということでしょうか。

そういえば劇場版によると、Wake Up,Girls!は松田のスカウトを当初拒み続けた島田を除いた6人で結成され始まったのでした。それがある日、丹下社長が突然事務所のお金を持って姿を暗ましたことで、予定されていた初のライブステージには立てなくなり、早々の解散さえ危ぶまれる事態となったことをきっかけに、林田の同級生でもあった島田が自ら志願して加わることで現在の形となった、ということです。その丹下社長が、はじめのはじめ、島田を除いた6人の書類審査の時点で「…センターを張れる子が足りないわ」というようなセリフを残していたのはなんというか、結局あの女社長は憎めない人だなという感じです。 

島田真夢(まゆ)はその実力とキャリアのために加入後すぐセンターとなりますが、先述したように口数は少なく、率先して周りを引っ張っていくようなことはしないようです。「そうさせただけの過去が彼女にはあるのだろう」というこの微妙な距離感は我々視聴者だけでなく、2話時点ではWake Up, Girls!の他のメンバー達も同様に感じていることなはずでしょう。林田くらいは聞かされたりしてるんでしょうか。いや、聞かされていないと予想します。外れるかもしれませんが…。

その林田。彼女は元々島田と友人関係にあったわけではありませんでした。たまたま松田のスカウトを受けたタイミングと、同級生の島田さんはかつて東京でアイドルをやっていたらしい、という噂を耳にしたタイミングが重なったため、相談に乗ってもらって、…という展開です。「こんなこと、島田さんにしかお願いできないことだから…」「島田さんも、(アイドル)やればいいのに、って思う」…確かこんな感じの事を劇場版で言ってたと思います。この二つ、I-1 Clubを辞めて仙台に逃げ出してきてからずっと独りぼっちだった島田真夢が言われて嬉しくないわけありません。この時点では島田は相変わらず松田のスカウトを拒み続けていたのですが、林田が練習に励むのを見て、それはそれで心底応援したに違いありません。そして同時に、また別の感情も…。(ここで「別の感情」と聞いて何を連想しますか。もちろん正解は「また私もステージに立ちたい」という思いのことです。百合を期待してここに恋愛感情を連想することも可能ではありますが、もしそれを選んだ場合には、丹下社長の持ち逃げ後Wake Up, Girls!が復活することはなかったでしょう。)

ああ、後、歌のトレーニングと言って二人でカラオケに入るシーンは耳が痛かった。僕が昔初めてカラオケボックスに入った時も、あんな感じで恥を晒したものでした。

1話では島田が林田の家(和菓子屋を営んでいる)を訪れるシーンがありました。「えっ、そんなのあったっけ」って感じですが、あったんです。劇場版を見ないままあの1話を見た時はほとんどキャラの印象残りませんでしたが、逆に劇場版を見た今1話を見返すとなかなか情報量があることが分かります。このシーンでは特に、「事務所、行ってみる?」「すぐそこだし、行ってみよっか!」の空気感に萌えます。直前の会話の結びで2.5秒くらい映る島田の微笑んだ横顔の印象がこれに繋がっているのでしょう。…って、林田の紹介のつもりがいつのまにか島田の話ばっかしてますね。まぁ、林田とは現状そういうものです。

島田、林田の次に誰の話をするかで残りの順番も自動的に決まる気がします。そう、それは、久海菜々美ちゃんについてのお話です。

久海菜々美。中学2年。13才。豪邸に住み、趣味はピアノ。ヅカファン。「アイドルは私にとって通過点に過ぎない」とアイドルになる前から豪語する最年少メンバー。劇場版においては丹下社長の持ち逃げが発覚した時、「あ~あ、今まで時間、無駄だったわ!」みたいなことを言ってのけ、消沈ムードのメンバーと我々をドキリとさせました。「これ、私たちブレイクしたら絶~っ対お宝映像になりますよ!」とする岡本に「ブレイクすればね!しなかったら、黒歴史になるとか!」と応じ、すぐに入った菊間のフォローがなければちょっと不味い空気になってたことでしょうし、その髪型含め、あんまり可愛いもんじゃありません。

でも、こういう子が一人いないと面白いものも面白くなっていかない気がします。特にアイドルユニットなんていう、集団が成員を強く公的に拘束し、メンバーもまたその集団の成員であることに強く依存するような、そんな集団においては、こういう厄介者を手懐けていく中で一つになっていくものがあると思います。

島田を基準に考えて、久海は年少組にあたります。まずこの条件だけを見たときに考えられるカップリング――という言葉を本当は使いたくないのですが――は二つ、すなわち、年少組同士ということで中のよさそうな片山実波との関係、及び、お目付け役として人情の厚そうな菊間夏夜との関係です。片山と仲が良さそう? 悪そうの間違いじゃないのか? と思った方、鋭い。天然でマスコット的存在で、3人の老人と食卓で長時間お喋りできるようなタイプの片山と、親の帰りの遅そうな豪邸でずっと独り、宝塚のDVDばかり見て育った久海の、馬が合うかと言われれば、それはちょっと考えにくい。同世代であるということが、逆に軋轢を生むような予感がします。

それでいいんです。むしろ、そういうところからこの二人の物語は始まります。僕にその一部始終を創作して語る能力が無いのが惜しまれますが、事件の発端のシーンとして、それは例えば練習スタジオでのこと。久海がいつもの調子で発した何気ない嫌味に対して、片山が目を伏せて何かひどいことを言い返すシーンが思い浮かびます。「なっ…」とか言って驚く久海、並びに他のメンバー。菊間はその筆頭でしょう。5歩くらい後ずさりした久海は、ハッと息を呑みこんで背を向け、走ってスタジオを出て行ってしまう。その場で俯いたままの片山に声を描けようとする菊間。片山は「ごめんなさい…」と行って床に数滴の涙を落とす。「今日はもう、失礼します…」

その場にいたのは年長組、すなわち、菊間、七瀬、岡本の3人でした。島田と林田はどこかデートにでも行っていたんでしょうか。3人の(オロ…)みたいなカットを挟んでCMに入ります。

CMが明けると、そこは久海邸。久海は物置きから、まだ新しいアルバムのようなものを引っ張り出してきたようですが、写真の中の彼女に比べるとその表情は重く沈んでいました。久海には、さっき片山に言われたその言葉に聞き覚えがありました。というのも、片山の言ったのとほとんど同じセリフを、写真の中の菜々美の隣でずっと静かに笑っている、かつての菜々美の大親友に言われたことがあったのです。

一方の片山はというと…。片山実波は歌っていました。片山は、悲しい事があるといつも歌を歌うようにしていました。老人達はいつまでもそれに付き合ってくれたのです。老人達はあえて何も聞きません。実波の歌を14年間ずっと聞いてきた老人達には、言葉にしなくても歌うことで全てが通じたのです。

果たして、二人を和解させたものは音楽でした。二人が衝突した日のすぐ翌日に、実波の方から提案したものです。「ななみんのお家、行っていい?」

「うわーすっごいお家だねー」、とか、「そ、そんなこと…(気まずい…)」、とか、そういう感じで久海邸に入っていくんです。両親は今日もいません。広大なリビングにグランドピアノを見つけると、実波は「ねぇ、伴奏、してくれないかな」と手提げかばんから童謡や唱歌のピアノ伴奏集を取り出し、手渡します。「それのね、○○ページ。『ケンカのあとは』っていう曲」「……」

   ケンカのあとは かなしいな
   なみだがいっぱい こぼれちゃう
   ほんとはとっても すきなのに
   きらいだなんて いっちゃって

   ほっぺにチュ ケンカのあとは
   ほっぺにチュ ケンカのあとは
   ほっぺにチュでも ちょっとはずかしい
   ほっぺにチュ ほんとはすきだから
   ほっぺにチュ ほんとはすきだから
   ほっぺにチュでも ちょっとはずかしい

「…ちょっと!」 「何」「何この曲!」「『ケンカのあとは』だけど」「そうじゃなくて!」「…」「…あんた」

「…ねぇ」「な、何」「ほっぺに…」「!、しないわよ!」「…」「(目を逸らす)」

「ほんとは、すきだから。ななみんのこと」「…」「だから、ゆるして」

「…そんなの、こちらこそ、でしょ」「…」「私こそ、これからは…その…」

「嬉しい」(ここで目が合う)「「…ねぇ」」「はっ…」「…ふふ」…

というのはどうでしょう。長くなりましたが久海と片山については以上。残るは年長組3人。ですが、岡本未夕については前回にたくさん触れたような気がしますから割愛します。というか、岡本未夕だけはなんか簡単にカップリングみたいな語り方では捉えられないというか、菊間夏夜についで二番目に年長なのに最年少の菜々美にさえ敬語で接したりとか、「素」の岡本を見るのにもうしばらく時間がかかりそうな感じなので、正直手におえないという感じです。

残る二人、ぬわああああああんもう疲れた、菊間夏夜と七瀬佳乃は年長組とはいえ胸囲に15㎝の差があるよ!!!終わり。 また今度触れる機会があると思います。。。

Wake Up,Girls! 2話見たよ~

前回の更新でも触れましたが、Wake Up,Girls! の岡本未夕ちゃん、可愛いですねぇ…。

2話では、前半、かなり目を覆わされる展開が続きました。私だってあんなものを見せられたら嫌な気分になります。制作陣は趣味が悪いなぁと思いました。別に、暗い展開が嫌だって言ってるんじゃないですよ、ないんですけど、でも、こういうのはちょっと違う暗さじゃんか、アイドルアニメに特有のあのノンスマイル分とは言えないじゃん、と思って見ていました。それで、ああこのマネージャーが無能すぎるのがいけないんだなあということで、初めからこの悪徳プロデューサー須藤がマネージャーだったら自分で仕事取ってくる分まだマシだったのかな、とか考えてました(この時は、須藤がもうちょっとちゃんとした業界人であるように見えてました。まさかパチモンだったとは…)。すると、あの女社長が帰ってきたんですね。この人、事務所のお金を持ち逃げして姿消してたんだと。須藤ボコボコにしたりしてなんかヒロイックに見えますけど、彼と比べてどっちもどっちというのが正味でしょう。Wake Up,Girls!、幸先悪すぎます。

さて、本題。

アイドルとして「出世」していくために少々は理不尽な要求も受け入れていかなければならないこと、それはまさにこの2話で岡本未夕が直面した問題でありました。彼女、よく見るとWake Up,Girls!で二番目に年長なんですね。それであのキャラとか、う~んますます萌えます。彼女には既に、小さいけれども十分な、アイドルとしての一つの地盤がありました。メイド in 仙台。それはおそらく、Wake Up,Girls!の他のメンバーの誰も持ったことのないものでしょう。あんなところ入ったことないですけど、あれが本当にある世界なら、そこで彼女が人気を得て、さらにそこから外へ出たいと思ったというその心意気に興奮します。きっとあまり長い期間そこにいたわけではないはずです。

ここで見逃したくないのは、「今日は助っ人で未夕が帰ってきたんだよ~!」といってマイクを譲ったもう一人のメイドさんのことです。アニメではどうしても、モブキャラの顔にも主人公格と同様の可愛さが与えられますが、いち・アイドルアニメファンとしては是非ともここにその美醜の別を見たいところ。まず一つ、未夕があずき色のツインテールであるのに対して彼女は黒髪のショルダーレングスである点。二つ目に、設定によると未夕がバスト80cmであるのに対して彼女は見るからに…である点。ふふ、馬鹿らしいですか? でも、これでハッキリしたとおり、彼女は未夕に比べて華がない。彼女自身それをわかっているのでしょう。むしろ初めは、彼女の方にこそアイドルの魂とでも呼ぶべきものは宿っていたのかもしれません。だって彼女にしたって、自ら望んでここに来たのですから。そう、初めは楽しかった。みんなにチヤホヤされて、お金もいっぱいもらって。ここから出て行く気はないけれど、出ていく必要もないんだと思っていればそれでよかった―――岡本未夕に出会うまでは。

そう、岡本未夕は天才だった。思えば彼女は、もう辞めてしまった別の従業員に私の友達だと言って連れられてきたのだった。私はその時の未夕の表情をよく覚えている。あまり乗り気ではない――そして同時に、満更でもない――そんな表情だった。私はその時既にここで1年半も働いていて、十分「長い」方だったから、未夕がどれだけ有望な人材であるかは直ぐに分かった。未夕を連れてきたあの子も、それを見抜いて連れてきたんだろう。そして未夕自身は、まだ自分の才能に気付いていない。だがそれも、ここで働くうちに否が応でも理解させられることだろう。全く、贅沢な話だと思った…

というのはどうでしょう。ただ、このように岡本未夕を(文字通り)偶像化することで脇のモブに萌えようとするやり方では、今度は岡本未夕に萌えられなくなるという問題があります。これ、パッっと説明できないんですけど分かりますか? これを「アイドル百合のジレンマ」と名づけてもいいです。

前にアイマスの百合を考えていた時も同じ問題にぶつかりました。この場合偶像化されるのは美希です。モブ役に回るのは真と伊織。もともと、美希×真と美希×伊織をイイなぁと思っていて、でもこれ矛盾じゃん、と思った時に閃いたものですが、つまり、美希×真に挫折した真と、美希×伊織に挫折した伊織が、ほとんど活動停止に近くなった自分たちを置いてどんどん出世していく美希を勝手に偶像化することで、現在進行形の伊織×真を自ら正当化していくという論理。イメージとしては場末のカラオケボックスで、Perfumeの「パーフェクトスター・パーフェクトスタイル」を歌う伊織と真。

  たぶんね キミは本当は そう 全てパーフェクトなスター
  つかめない風のように 気楽そうに映るスタイル

  逢えないままどれくらい たったのかなきっと
  手をのばしても もう届かない

某有名な動画のおかげでそもそもアイマスの曲だと思って知った曲でしたが、もうずっと僕の中ではノンスマアイドル百合のテーマソングみたいになってます。

で。こんな伊織と真、あるいはモブのメイド、僕は彼女らにたいそう萌えるけども、一方でその時、美希や未夕は文字通り偶像、まるでお飾りの置物になっていて、捉えようによっては「敵」か何かのようにも見えてしまう。これはちょっとどうしたものか。我々が伊織や真の立場に立つ限り、だからと言って何か困るわけじゃないが、だんだん「美希」の存在が、何かとても虚しい物のように見えてくる、そうは思いませんか。このままでは真も伊織も、いつか美希を忘れます。

何故アイドルが虚しいのか。偶像だから? そんなことはありません。美希に実体はあるし、嘘をついているわけでもない。言わない本音があるにしても、それを言わなかったり、それを言うことと言わないことがあまり大きな問題にならなかったりするのは、まさしく美希が生まれ持った(としか言いようのない)アイドルとしての才能の為せる業でしょう。強いて言えばそれが美希の実体です。その才能が虚しいのでしょうか。アイドルは孤独だから、というやつでしょうか。

  やっぱ私が一番! 今輝いているみたい
  そりゃ生まれながらダイヤの原石みたいだもん
  もっとビッグにならなきゃ もう何かの間違いでしょ
  まだ私に気付いてない遅れた人たちも
  この魅力ビームでハートをロックオン!するの

なぜ少女達はアイドルに(なることに)憧れるのでしょう。伊織も真も、自ら望んでアイドルになったのです。それが虚しいはずがない、ない、ないんですけども、それでも、そんな伊織×真は、いずれ美希を忘れるようにしか思えないのです。