sutomajo's blog

可愛い女の子のブログです

昨年末の出来事

 うちのおじいちゃんは本当に耳が遠い。その上頑固で、一度決めたら何がなんでも、という人だった。大量のハーゲンダッツやら午後の紅茶やら、もう要らないっていうのに食べさせようとしてくる。道路を歩いていて車が通ると、「車きたよ!」と大声で教えてくれる。孫への優しさなのはわかってるけど、嬉しくはなかった。

 その横で、おばあちゃんはいつも僕たちにおじいちゃんの愚痴を聞かせた。おじいちゃんが耳が遠くて聞こえないのをいいことに、大声で聴かせてきた。介護というほどではないにしても、おばあちゃんも苦労しているんだろう、それは分かっていたけど、人生の最後に孫に夫の愚痴を聞かせるなんて…と思って、僕はそれが苦手だった。でも、おじいちゃんはおばあちゃんを大切にしていた。おばあちゃんのことを「祐子ちゃん」と呼び、ありがとうね、なんて言っていた。

 そんなおばあちゃんが亡くなった。買い物途中で転倒して頭を打ったとのことだった。電話で連絡を受けた後、涙は出なかった。

 お通夜に出たのは初めてだった。父の兄である恒夫おじさんや、従姉妹のお姉さんたちにも久しぶりに会った。初めて会う親戚もたくさんいた。おじいちゃんは、初め、今晩は葬式場に泊まる!祐子ちゃんと一緒にいる!祐子ちゃんがかわいそうや、と言っていたけど、お通夜式が終わるころにはケロっとうん今日はお家に帰る、と言っていた。みんな安心した。

 その日、亡くなったおばあちゃんのお兄さんから、「先立たれた一方が一年以内に後追いで亡くなるケースは多いんだ。特にここの二人は仲が良かったから、よく見ておいてやってくれ」と頼まれた。耳が遠くてほとんど聞こえないおじいちゃんが、これから一人で暮らさなきゃいけないのかと思うとすごく不安だった。僕は地方への異動が決まっていたのだけど、東京に帰ったら横浜に寄ろう、と思った。

 翌日、葬儀と火葬があった。葬儀式場の入り口には「浄土真宗では葬儀を不浄とは考えませんので、清め塩はもちいません」の張り紙があった。火葬場でも、お骨を壺に入れる時、浄土真宗では一人でそのまま入れてもいいんだという説明がされた。うちが浄土真宗なのかどうかは知らなかったけど、そういえばお通夜でも、お坊さんの説教の中で浄土真宗がどうの、と話していたかもな、と思い、ふーん、くらいに考えていた。

 無事火葬も終わり、親族にもみんな帰ってもらった後、おじいちゃんと、父と伯父の家族だけでおじいちゃんの家に帰った。もちろん、お骨と遺影も持って帰った。10人で食卓を囲んだ。お茶は従姉妹のお姉さん達が出してくれた。うちの兄妹は毎回こうで、ほとんどこうしたことを手伝えない。でもこの従姉妹達も明日にはつくばに帰る。その後はおじいちゃんはこの家に一人ぼっちだ。みんながそう心配してたと思う。

 ふと会話が途切れた時、おじいちゃんがおもむろに、現世とあの世は繋がっている、という話をし始めた。人が亡くなるのは世の習い。あちらに行ってしまったのではなく、いつもそばにいる。大切なのは心の問題。法然親鸞浄土真宗西本願寺禅宗江戸幕府お布施やら豪華な仏具ではなく、南無阿弥陀仏と唱える心によって救われる、そういう教えの話だった。おじいちゃんの口からそんな話を聞いたのは初めてだったからびっくりした。だいたい10分くらい、みんなで黙っておじいちゃんの話を聞いた。

 僕たち家族は暗くなる前に葛西に帰る予定だったから、伯父が気を利かせて、最後におばあちゃんに挨拶してやっちゃん(僕の父)達に帰ってもらおう、と言ってくれたので、みんなでおばあちゃんの遺影の前に移動した。

 おじいちゃんは、みんな揃った?と確認したけど、恒夫おじさんは台所で食器を洗いながら「先始めててー」と言う。僕たちは笑ったけど、おじいちゃんには聞こえてない。そしたら「あれ?慶ちゃんは?」なんて言うもんだから、僕はここにいます!とツッコんでまたみんな笑った。その笑いがおさまった後、ふとまた静かになった。そしたら、

 

「おばあちゃん、やっとお家に帰ってこれたね。ずっと一緒だからね、さびしくないよ、大好きだったよ」

 

 僕は涙が止まらなかった。その後おじいちゃんがお経を諳誦し始めたのもびっくりしたけど、僕がその時最も驚いたのは、おじいちゃんがお経を暗記していたことでも、自分がおばあちゃんの死に泣いてることでもなくて、「おばあちゃんが亡くなってもおじいちゃんはひとまず安心だ」、と何となく思えたことだった。おばあちゃんはお骨になっちゃったけど、いつもおじいちゃんのそばにいてくれてることは変わらないし、遺影の中で、こんなに素敵に笑ってくれてるんだ、自然に思えたんだ。

 これが結局なんの話かって言うと、僕はこれまで、と言うかあの日のあの瞬間まで、ずっと「宗教」ってものに対して、少なくとも自分にとっては無意味なもの、不合理なものという認識を持っていたのだけれど、その認識がかなり揺らいだんだよね、