sutomajo's blog

可愛い女の子のブログです

ふたなりの起源

前回の更新は「美少女になる」というタイトルでした。この記事では、僕が美少女になろうと妄想たくましくした結果ぶつかった一つの壁を簡単に紹介いたします。

童貞だからチンポだけどうしても女体化できない!!!!

この一言に尽きます。例えば脳天から、髪、眉、目、鼻と降順に女体化していって、胸、背、腹と降ると同時に、手や足の指先からも両腕・両脚を肢体の中央に向かって全体的な仕方で以て女性らしく形作っていくとしますと、たとえ最後の一部分を残して全てが順調に進んでいたとしても、まるで五体から失われた男性を一点に集めたかの如く、頑なに「それ」は「そこ」を離れようとはしなかったのです。

ここにふたなりの起源(はじまり)を見ることができます。これは確信を持って言えるのですが、他の人がどうだか知りませんが、僕の認める限りにおいてふたなりチンポとは、美少女の股間から「生えてきた」ものなどでは決してなく、美少女に「生え残った」ものなのです。閑話休題

それにしても、この私がここまでふたなりに魅了されるとはつい一週間前まで想像だにしなかった。だから魅了とはこういうことを言うのだ。ひとつ鼻にかけたようなことを言うと、実は昨日六本木のラファエル前派展とかに行ってきたのであるが、その帰途TLに現れたロリチンポbotはそれが私に与えたインスピレーションという点においてロセッティの《プロセルピナ》を苟も上回った。テート美術館の至宝がふたなり和姦の無法に遅れを取ったのだ。悲しいことだ。

ところで、何よりも今の私に求められるのは倫理であろう。チンポの生えていそうな美少女といなさそうな美少女、チンポの生えていてよい美少女とよくない美少女、こうしたことを整理する必要がある。無闇な横行はもちろん私の望むところではない。

ただし前述の、ふたなりの起源は男性にあるとする立場を採用した場合、話を美少女に限定する必要は全くない。ふたなりチンポが男性の凝縮であるならば、もちろん手のひらサイズでお手軽ということはあるけれども、それがそこに集中する以前の状態に彼らを還元してやることも一つの道なのだ。

アルミンにはきっとチンポが生えていることだろうが、それを通常ふたなりとは呼ばない。アルミンが男性であるからだ。しかし私がふたなりに見出しているものはおそらくアルミンの場合と大きくは変わらない。夢中にさせてくれるものがいつも変わらずお手軽サイズということにいつか私が厭きた日には、きっとアルミンと心から向かい合う心の準備が整っているであろうと、今の私はただそう期待するばかりだ。