sutomajo's blog

可愛い女の子のブログです

底辺アイドルの寒い自己紹介が好きだ

「じゃっ行きま~す! お帰りなさいませ、ご主人様? あなたのハートをハッキング! 未夕のウイルスが激烈蔓延中だ~~ッ! ツインテ担当ヘタレ天使! Wake Up, Girls!のミュウこと、岡本未夕で~~す!」

あんまり多く例を挙げられませんが…。WUGの1話の岡本未夕ちゃんを見て改めてそう思いました。確か去年の「あまちゃん」でもそういうシーンがあったと思います。(あまちゃんといえば、序盤、アイドルになりたい田舎っぺのユイさんが東北のローカル線北三陸鉄道の線路上に降り立って東京の方角を向き、東京から越してきたという主人公に自ら背を向けながら「アイドルに、なりたーい!」と叫んだシーンも印象的でした。)ちょっと前に2ちゃんねるで話題になった九州地方の橋本環奈さんについてYouTubeで検索していた時も、この手の自己紹介の映像を見つけてかなり興奮したのを覚えています。よく知りませんが、こういうのってもしかして日本中のアイドルがやっていることで、検索したらいっぱい見れたりするんでしょうか。少し興味がありますが、すぐ飽きるような気もします。

アイドルになりたい、とか大真面目に言ってる美少女にとても興奮します。脱衣所で決めポーズとってみるとか、大きな姿見にドキッとするとか、毎日の通学路では白線からはみ出ないように歩いて密かにモデル歩きの練習をしているだとか、そういう美少女にとても興奮します。とはいえ、それでも、歌やダンスはそんなふうに漫然とナルってるだけで上達するものではありませんから、本当にアイドルになりたいなら具体的に、行動を起こす必要があるでしょう。たとえば、親に内緒で勝手にオーディションに申し込む美少女、興奮します。あるいは、その勇気が出せずに高3になるまで暗いドルオタを続けていた矢澤にこ、興奮します。

「にっこにっこにー! あなたのハートににこにこにー! 笑顔を届ける矢澤にこにこー! にこにーって覚えてらぶにこっ!」

興奮します。こういうセリフを聞きながら文字に落としていく作業はとても楽しいです。ここはカタカナの方がいいかなとか、ひらがなのままがいいかなとか、そういうのです。こんなん一人で考えてる美少女、マジ興奮します。実際は事務所の人とかが考えるんでしょうか? でも、オーディションに申し込む勇気を持てない潜在的アイドル達は自分で考える他ないですし、実際考えてるんでしょうなぁ。

代々木公園とかにはよく台本片手にセリフ合わせみたいなことしてる集団がいますが、そんな大都市の中心でなく、もっと郊外にある中くらいの公園で、ベンチにラジカセ設置してザッザッっていう砂利の擦れる音とか立てながらダンスの練習してる女子中学生4人組などに興奮します。 

あるいは、部屋で、一人で、音楽はイヤホンで聞きながら、みたいなド素人の美少女にも興奮します。慣れないことをするから手をぶつけたり、物音が廊下に漏れたりするのも良い。…あ、これ思ったよりいいですね。エレキギターエレキベースの練習をアンプでなくヘッドホンでする場合などにも同じことが言えますが、あれってハタから見てるとダサいんすよね。肝心の音がこっちには聞こえないのに、本人は何か必死そうだし、弦がベシンベシン言ってる音が虚しい。 でも、そういうのを誰に聞かせるでもなく部屋で一人で静かにミシミシやってる人がどこかにいるかとを思うと、興奮します。

日々の泡

それはある夏の日の放課後の事。私は大汗をかいて誰もいない教室に帰ってくると、まず水を飲みたいと思った。水筒は午前の内に空にしてしまっていた。自販機まで走るか? それも面倒だ…。教室を見回すと、後ろの方の机に「りんご水」の1リットルパックが放置されていた。側まで行って持ち上げてみると半分ほど残っている。きっと、そこの席の誰かが飲みきれずに、かといって中身の入ったものをゴミ箱に捨てるわけにはいかず、置いて行ったものだろう。ちょうどいい。私はストローに口をつけ、一気に吸い上げた。

それは、とても「しょっぱい」液体だった。すぐに猛烈な臭みと嫌な予感が立ち上がり、うぇうぇっ、と、いったんは口に含んだ「それ」をその場に吐き出した。それは明らかに「尿」だった。誰の?いったい何の目的で? 私はパックの注ぐところを開き中身を確認した。「りんご水」にしては濃すぎるし、パックを持つ指にはだんだんと尿の温もりが伝わってきていた。今吐きだした量がどれくらいかは分からないが、パックには依然400ccほどの尿が残されていた。

ガララッ、と戸をあけて入ってきたのは良子である。私がついさっきまで体育館でバドミトンを戦わせていた相手だ。良子もまた喉の渇いた様子でいる。

「あ、りんご水!サヨ、ちょっと寄こしなさいよ」

そんなこといわれても。それは無理だ。私はその時そのパックを右手に持ったままでいた。目の前の足元には今吐き出したばかりの「りんご水」が床を這う蛸のような形で影絵を表している。手をふさがれ、足をふさがれ、口の中はまだオシッコ臭いし、私は突っ立ったまま顔だけを良子の方に向けてほとんど半泣きの様相を呈していた。

私は全ての事情を話した。良子は初め信じられない様子でいたが、パックの中身の臭いを嗅いで納得してくれたようだった。良子は私が口をゆすぎに行くのに付き添ってくれたし、その後床の掃除をするのも手伝ってくれた。良子の勧めで、帰りにコンビニで何か味の濃いものを買って「口直し」をしようということになった。正直食欲なんて全くなかったんだけど、良子が言うとそうしようという気分にさせられる。何を買おうかな、と思っていると、「ます寿司」に目が留まった。140円。前に食べたとき美味しかったからというだけでそれを選んだんだけど、すぐに後悔しちゃった。だってこのお寿司、「お酢」がきいててとってもオシッコ臭かったんですもの…。

 

大正野球娘。感想

大正野球娘を見た。面白かった。とても気分よく最後まで見れた。

このアニメの百合としての見どころは一も二も無く環×雪である。小学生の頃二人は共に男子に交じって野球をしていた経験があり幼馴染みなのだが、(ここから妄想)当時男子に交じって野球をして遊ぶような女の子はそのチームにおいて雪と環の二人だけであった。と言ってもチームは雪と環を入れてやっと9人で、その中で女子二人の存在は大きくも感じられたが、体の成長につれ、10才にもならぬばかりからその差は成績に大きく表れるようになった。その頃になると一人、二人と新しい男子メンバーが加わり、二人がベンチに下がることも増えてきた。二人には自分たちが女であるということを今までとは違った意味において考える必要があった。自分たち以外男ばかりというチームにおいて初めこそお互い睦まじくした二人であったが、そういうことがあってやがて互いに反目し合うようになった。二人はそれぞれ自らが女であることをチームに対して引け目に感じた一方で、決して野球の喜びというものを忘れはしなかったからである。二人の間にはほとんど実力の差は無かった。二人にとってお互いはそれを超えることでまた試合に使ってもらえるもののように思えたが、実際にはレギュラー復帰はほとんど絶望的だった。それでも二人が練習を怠ることはなく、チームメイトや監督はその姿に一目置くこととなったが、それは二人の望んだものではなかった。六年生の春のある日、特に示し合わすでもなく雪と環は同じ日に野球チームを退団した。

その後すぐ、二人は東邦星華女学院に進学するための受験勉強を始めた。ただしこれもまた特に示し合わせたわけではなった。二人は互いが同じことをしているとは知らぬままに、それぞれ両親に最寄の女学校への進学を希望したのだった。その後入学するまでの約一年間、そして入学後も丸一年間、雪と環は一言も口を聞かなかった。何か気にくわない事があったわけではない。そんなものは初めからない。ただなんとなく、廊下で顔を見かけるたびに意識して避け合うというようなことをしていた(といっても、入学式の日に初めての教室でその顔を見たときは驚いてしばらく固まってしまったが)。

「石垣さん、ご一緒しても、よろしいかしら」――だから、あの日雪が、あんな風に声を掛けてきたのは、当たり前な風に見えて、実に二年ぶりのことだったんだ。なんだ、雪のやつ。昔はそんな上品な言葉で挨拶なんかしなかった。それに、「石垣さん」って。昔だったら、…一瞬でそんなことまで思い出してしまって、とっさにこっちもヘンな言葉遣いで返してしまった。「なのだが?」…今思い出しても恥ずかしい。

 

 

痴漢を見た

痴漢を見た。

僕は随分背の高い方だと思っていたが、男はその僕が見上げるほどの長身だった。スーツの上から薄汚れたブルーグレーのジャンパーを羽織っていて、途中まで禿げ上がった頭はボサボサだった。電車の揺れに合わせて、女子高生の下腹部に正面から右手の甲を当てているように見えた。

その女子高生は、僕がその車両に乗った時、ハッと目を引かれた存在でもあった。赤いマフラーがとてもいいと思った。顔は髪で隠れて見えなかったが、マフラーとコートとリュックサックと、混み始めの車内で見える範囲の色遣いはとても華やかに見えた。ドアが開いて直ぐ右(彼女は身体を左斜め前につんのめらせる形でポールに寄りかかっていた)に彼女を認めた僕は、回りこんで彼女を右斜め後ろから眺める形で陣取った。

その時、スッと違和感を感じさせる動きで彼女に張り付いたのがその男だった。男は背後で閉まっていくドアに背を持たれ、すぐに右肩に体重を乗せる姿勢、彼女に正面を向く姿勢に移った。僕は男を不審がった。既に男の右手はその甲を彼女の下腹部に押し当てていた。痴漢の意図の無い者の腕が、こんな風に動くわけがない。僕は「痴漢だ」と思った。

僕は彼女の表情を見ようとしたが、髪で隠れて見えない。怖がっている様子はなかった。それどころか、何も気づかずスマホの画面に熱中しているようにも見えた。彼女は股下までの厚手のコートを着ていたし、この混み具合ならそれと気づかないということもあるのだろうかと思った。(だからと言ってあの男が許されるわけはないのだが、なぜかそれは僕を安心させた。)

彼女の目の前でドアが開いた。男は手をひっこめ、降りる者に道を譲った。そこで乗って来た男が僕と彼女との間に収まり男の手元の様子が分かりづらくなったが、僕を驚かせたのは彼女がそこで降りてしまわないことだった。何故降りないのだろう。まさか本当に痴漢と気付いていないのだろうか。それとも本当に痴漢ではなく、僕の勘違いだったのだろうか。その電車は快速電車で、その駅からは3駅を通過し、しばらく逃げるチャンスを失う。そんなことは彼女だって分かってるはずなのに…

電車が出ると、以外にも男はあっさりと彼女に背を向け目を瞑ってしまった。左肩でドアにもたれる姿勢だ。僕は男のボサボサな髪と薄汚れたジャンパーを観察した。袖から見えるスーツは千鳥格子のゴージャスなもので、ジャンパーを脱いだ姿が全く想像できなかった。彼女はというと、相変わらず同じ姿勢で、顔は髪で隠れ、マフラーで口元を隠し、スマホの画面を熱心に叩いていた。

僕は冤罪という言葉を知っていた。痴漢の冤罪と言えば、何年か前それを苦にして自殺したサラリーマンがいたことも知っている。しかし、この男は明らかに確信犯、故意犯だ。痴漢現場に遭遇したのはこれが初めてだった。僕は本来なら、それまで痴漢現場への遭遇に際して取るべき行動として以前に想像していた通り、痴漢だ、と叫んで彼女との間に割って入り、男の腕を掴んで持ち上げ周りの乗客の同意を求めるということをすべきだった。しかし今となっては現行犯でもないし、彼女も変わり無しだった。これ以上男が何もしてこないなら、こう言っては悪いが、彼女にとっても大した傷は無いだろう。どうせ僕は次の駅で降りるのだ。彼女も早く降りてしまえばいいのに――そう思ったまさにその時だった。

男はグルンと振り返り、また彼女の方に腕を伸ばし始めた。次の停車駅まであと一駅分もないこの段になってである。やはりこいつは痴漢だ。僕はよっぽど声を上げようと思った。しかし声が出ない。いざという時になってどうしたことだ。僕はとっさに彼女の方を見た。しかしこの時はどういうわけか、相変わらずスマホを凝視している彼女の後頭部ではなく、彼女の、じっと握られたままのスマホの「画面」に目が行った。 

「こわい」 

それは明らかに彼女からのメッセージだった。その大きな文字の下にはいくつもの予測変換が表示されたまま放置されていた。彼女は目の前の痴漢が恐ろしくて電車を降りることさえできないでいたのだ。

「あああ・・・」僕は声にならない声を上げた。僕はその場において、彼女のメッセージを正確に理解した唯一人の人間だった。僕が彼女を助けなければ、僕が声を上げなければ、彼女はきっと最後までこの痴漢から逃げられないだろう。僕はよっぽど、よっぽど声を上げようと思った。上げようと思って、男の顔を真正面から見やった瞬間、……僕の心にも、その痴漢に対する恐怖が込みあがってきた。

声が、出ない。脚が、震える。やがて電車は停車し、僕の後ろでドアの開く音がした。僕は後ずさった。よっぽど、今すぐにでも振り返って声を上げ、せめて駅員を呼びつけるだけでもしようかと思った。無駄だった。あの男の顔が頭によぎるだけで、僕の心はあの男への恐怖に支配された。僕は俯いたまま振り返り、電車を後にした。彼女の降りてくる様子は無かった。…

童貞だけど運命の出会いについて語る

前回の記事の冒頭でこのような事を書いた。「私は彼女らのような路上演奏者に付き合うのが好きなので、わざとらしく驚いたような表情を作って歩を緩めた」。

そう、そのようなことを僕はよくやるのである。それだけでなく、僕はこれを一人の時でもやる。誰と目が合ったわけではないけれど、僕が観光案内の地図看板を睨んでかれこれ300秒も微動だにしていないらしいってことに道行く人々の誰か一人が横目くらいには気づいてくれるかもしれないって、半分本気でそう思ってる。っていやいや、「道行く人々」が僕を同じ視界に300秒も留めておけるわけないじゃないか。

だったら、すぐ背後の交番で佇む婦警とか。そして婦警がようやく僕を視界に認めたその瞬間、それまでの間僕が無為に過した250秒は報われるだろう。何故なら残りの50秒間、僕自身は彼女が僕を視界に捉えたことなど、いやそもそも背後の交番の存在にすら気づいていないにも関わらず、結果的に彼女は強く、一方的に僕を意識してくれることになるのだから。なにしろ彼女は婦警なのだから、目の前で善良な市民が道に迷っていれば声を掛けるは当然と発奮するに違いない。もちろん彼女とて、そのようにして自ら案内を申し出る機会は日に何度もあることだろう。それでもその彼女がこの私にだけ特別な態度で以て接することがあるとすれば、それは私が無為に過ごした250秒というのはもちろん私がその地図看板を前に一定の姿勢を取り始めてから数えての時間であるが、彼女が私をようやく視界に認めたのはその250秒の正に経過し終えた瞬間の出来事であり、つまり彼女の目に私は「いつからそこにいたのかわからない」存在として映ったはずであるからだ。彼女はさぞ驚いたことだろう。実は彼女は幼い頃より、真面目を絵にしたような性格の女だった。この春新人婦警として公務に就いてから早くも最初の秋が終わろうとしているが、その間(かん)この今ほど呆然と無為に過ごした250秒は他に無いほどであった。もちろんこの250秒も彼女にとっては起点のハッキリしないものであって、だから気が付いて直ぐに腕時計を見やり、あまり針の進んでいないことを確認してホッと一息、毅然として顔を上げたときその双眸に飛び込んできた濡れた磯のような色のコート――午後四時の西日を反射して光っている――を着た男の背中を見て彼女が何を思ったかも、容易に察することができるだろう(適当)

↑続きを書くのがめんどくさくなったのでこの辺で切り上げます

童貞だけどミソジニーについて語る

 今日、学校の帰りに地元の駅前で、外人の三人組が音楽を奏でながら歌を歌っていた。両脇の女はインド人、真ん中の女は白人だが三人とも似た民族衣装を着ている。真ん中の女はボンゴのように大きな太鼓を抱えていたが、非常な長身なのであまり重そうにも見えず、緩やかな衣装を纏った長い手足と相まってこれがなんとも様になった。三人は歌いながら揃って左右にステップを踏む。私は彼女らのような路上演奏者に付き合うのが好きなので、わざとらしく驚いたような表情を作って歩を緩めた。当然これは、私がそうすることによって聴衆の一人も無しにさみしく歌っていた彼女らに「客が来た」という認識を与えるだろう、と目論んでの事だった。

 案の定彼女は私に気付いた。彼女とは真ん中の白人女の事だ。こうして正面に立つと彼女の長身がよく分かる。「彼女が私に気づいた」。私の目論見としては、こうして私一人に凝と見られているという認識を彼女が持った今、この認識を意識することで彼女の演奏が狂わされるか、或いはこの認識を意識せぬよう意識することで彼女の演奏が通常の彼女の演奏と違うものになるかする様子を観察出来ることだった(私が路上演奏者に付き合うのが好きと云ったのはこの意味においてである)。

 だから彼女が次に取った行動は私を仰天させた。なんと彼女は、さぁ私と目を合わせたかと思ったら、あろうことか演奏を中断し、この私に向かってそっくり歩いてきたのだ。「(な、なんだ。)」私はその時初めてその女の顔を凝視し得た。この距離になって初めてわかる。まずこの女は私より背が高い。彼女の背の高いのは一目見て良く分かっていたがそこに私の身長と比べる発想は無かったのである。そして次に、いやこれこそが最も重大な事件だったのだが――彼女の目が、とても大きく、そして青かったのである。私はその瞳に全く呑まれていた。正確にはターコイズブルーである。彼女が私に何か話しているのは分かった。しかし目が離せない。他の事を考えられない。考えたくないと思う。この女の瞳、目鼻立ち、額……全く、白人とはかくも小顔なものなのか。背が高い、手足が長い、もちろんそれは事実だが、このボンゴのように大きな太鼓を抱えてなおこのまとまりを保つ秘訣はこの押しつぶしたような小さな頭蓋骨にあると思われる。

 …と思っていたのは表の私においてである。裏の私においては、この白人女が私に向かって歩いてきた時点で既に、フン、またこのパターンかと笑っていた。裏の私は表と違って彼女の言うことを聞き流しはしない。彼女の寄越す何やらチラシも受け取れば、直ちにざっと目も通す。なになに……ハッ、やはり宗教の勧誘か。女は言った。「ニチヨウビ、○○デ、インドのオマツリ、キマセンカ?」受け取ったチラシによると、歌ったり、踊ったり、食べたりするイベントらしい。インド?ヒンドゥー教か?まぁ怪しい新興宗教ではないのかもしれん。ここいらではインド人は珍しくない。行けばこの女もそこにいて、今と同じように歌って踊っているのだろう。しかし私の彼女に対する蔑視は既に引き返せないところまで来ていた。この宗教女め。

 一方で表の私は彼女の美しさに心底感動していた。ただ白人というだけなら毎日目にかけているが、彼女にはただ顔立ちの美しさだけとも違うもの、つまり私のミーハーな異国趣味に直截訴えてくるものがあった。すなわち、緩やかな民族衣装であり、訛りの日本語であり、青い目である。嗚呼…

 漸く裏の私に追いついて、私がいくらか返答めいたものを返し始めた途端、そう、途端である――私は何か別の物に操られたように、ぺこぺこと頭を下げてハイ、ハイと頷き、インドのお祭、ハイ、ありがとうございますと云って去ってしまった。その去ってしまうまでの約十秒の間、私は顔を上げ彼女の顔の方を向きはしても決して焦点を合わせず、あたかもただ正当な日本語における意思疎通の作法に準じることのみを目的とした機械のようになっていた。

 結局私は初めから、あるいは彼女を視界に認めるずっと以前から、彼女の事を軽蔑していたのである。路上演奏者に付き合うのが好きだと云った。これが蔑視でなくてなんだろう。私の異国趣味に訴えかけると言った。これが蔑視でなくてなんだろう。そして第一に、宗教女を罵ることは異国趣味を罵るも同様であるのに、それを表と裏などという言葉を使って、それは文字通り同じコインの裏表である滑稽さにも気づかないで、なんと愚かな屁理屈だったことだろう。異国趣味という観点からわたしは宗教女に欲情もしよう。あの青い目はそれだけ神秘だ。ならばその逆もまた然り、異国趣味ほどミーハーな、その無知を露呈する趣味は無い。

2013/11/01