sutomajo's blog

可愛い女の子のブログです

童貞だけど運命の出会いについて語る

前回の記事の冒頭でこのような事を書いた。「私は彼女らのような路上演奏者に付き合うのが好きなので、わざとらしく驚いたような表情を作って歩を緩めた」。

そう、そのようなことを僕はよくやるのである。それだけでなく、僕はこれを一人の時でもやる。誰と目が合ったわけではないけれど、僕が観光案内の地図看板を睨んでかれこれ300秒も微動だにしていないらしいってことに道行く人々の誰か一人が横目くらいには気づいてくれるかもしれないって、半分本気でそう思ってる。っていやいや、「道行く人々」が僕を同じ視界に300秒も留めておけるわけないじゃないか。

だったら、すぐ背後の交番で佇む婦警とか。そして婦警がようやく僕を視界に認めたその瞬間、それまでの間僕が無為に過した250秒は報われるだろう。何故なら残りの50秒間、僕自身は彼女が僕を視界に捉えたことなど、いやそもそも背後の交番の存在にすら気づいていないにも関わらず、結果的に彼女は強く、一方的に僕を意識してくれることになるのだから。なにしろ彼女は婦警なのだから、目の前で善良な市民が道に迷っていれば声を掛けるは当然と発奮するに違いない。もちろん彼女とて、そのようにして自ら案内を申し出る機会は日に何度もあることだろう。それでもその彼女がこの私にだけ特別な態度で以て接することがあるとすれば、それは私が無為に過ごした250秒というのはもちろん私がその地図看板を前に一定の姿勢を取り始めてから数えての時間であるが、彼女が私をようやく視界に認めたのはその250秒の正に経過し終えた瞬間の出来事であり、つまり彼女の目に私は「いつからそこにいたのかわからない」存在として映ったはずであるからだ。彼女はさぞ驚いたことだろう。実は彼女は幼い頃より、真面目を絵にしたような性格の女だった。この春新人婦警として公務に就いてから早くも最初の秋が終わろうとしているが、その間(かん)この今ほど呆然と無為に過ごした250秒は他に無いほどであった。もちろんこの250秒も彼女にとっては起点のハッキリしないものであって、だから気が付いて直ぐに腕時計を見やり、あまり針の進んでいないことを確認してホッと一息、毅然として顔を上げたときその双眸に飛び込んできた濡れた磯のような色のコート――午後四時の西日を反射して光っている――を着た男の背中を見て彼女が何を思ったかも、容易に察することができるだろう(適当)

↑続きを書くのがめんどくさくなったのでこの辺で切り上げます